【歴史】奴隷になったイギリス人トマス・ペローの奴隷生活

今回紹介するのは、17世紀にアフリカのモロッコで奴隷として、23年もの間、過酷な生活を送っていたイギリス人のトマス・ペローについてです。

15~18世紀にかけて、ヨーロッパ列強が大規模に実施した奴隷貿易は高校の世界史の教科書にも登場するほど、よく知られた話だと思います。

その一方で、イスラムの海賊もヨーロッパ沿岸の町や商船を襲撃し、凄まじい数の住民が奴隷として連れ去られ、強制労働に就かされて、死んでいったようです。

トマス・ペローは、この奴隷となった一人で、その類稀なる聡明さ、不屈の精神と幸運によって、死と隣り合わせの状況を生き抜き、自らの力でイギリスに舞い戻った一人の男の話です。

私がトマス・ペローを知ったのは、こちらの「奴隷になったイギリス人の物語」を読んだことがきっかけです。アフリカで奴隷として働かされたトマス・ペローを主人公とするノンフィクション小説です。

正直、全く知らなかった話ですので、目から鱗と思いました。当時のアフリカのモロッコの状況をよく知ることができました。きわめて残虐な描写も登場します。(モロッコ国王であるムーレイ・イスマイルが気に入らない奴隷に死刑を命じて、その方法が到底考えられないほど残酷だったり。。。)今の日本に住んでいる私にとっては、当時の人間の命の重さ(軽さ?)を考えさせられる内容でした。

ムーレイ・イスマイルの第一夫人の話も驚愕です。。。頭から鋸引きによる死刑となった奴隷に対して、これより残虐な方法で死刑に処すようにと命令するのです。。。

というわけで、この本を読んで知ったトマス・ペローのことと、当時の奴隷の劣悪な環境について覚えている範囲でまとめてみました。

思い出しながら書いているので、記憶違いがあるかもしれません。

18世紀当時のモロッコの地図。サレはベルベル人海賊の本拠地であった。

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トマス・ペローの奴隷生活

捕まる

イギリス南西部コーンウォールにある港町に住むトマス・ペローは優秀な子供でしたが、机に噛り付いて勉学するということに飽き飽きしていました。

そこで、当時11歳のトマス・ペローは反対する両親を説得し、船乗りの道を志します。叔父が船長を務める船に乗り、イタリア、ジェノバまでの航海に乗り出します。

往路は何事もなく、無事にイタリアまでたどりつくことができました。しかし、ジェノバからの帰途、フィニステレ岬に差し掛かった頃、トマス・ペローの乗る船は海賊に拿捕されてしまいます。

停泊中のガレオン船(イメージ)

奴隷生活の始まり

トマス・ペローはアフリカのモロッコの海賊の本拠地であるサレに連れていかれます。

サレの奴隷の牢獄は非常に劣悪な環境でした。牢獄は地下深くに設けられており、入り込む雨水によって膝まで悪臭漂う水に浸かりっぱなしです。

夜はハンモックを壁にかけて寝ますが、就寝中ハンモックがずり落ちて水の中に投げ出されることもありました。

モロッコにある白人奴隷市場で売買される奴隷たち

スルタンに献上される

スラでの劣悪な生活を終えると、トマス・ペローはスルタン、モロッコ国王であるムーレイ・イスマイルの元へ連れていかれました。

トマス・ペローはまだ若かったことから、スルタンの息子、ムーレイ・スーファの奴隷にあてがわれます。

ムーレイ・スーファはトマス・ペローの賢さに気づくと、トマス・ペローをイスラム教徒に改宗させようとします。

トマス・ペローは当初から拒否し続けましたが、激高したムーレイ・スーファはトマス・ペローに様々な刑罰を与えます。

最もおぞましい刑罰は、トマス・ペローの肉を焼き、その肉を剥ぐという行為です。トマス・ペローはこれに屈し、イスラム教徒となることになりました。

トマス・ペローはイスラム教徒に改宗させられた後、学校に通わされ、アラビア語やモロッコの慣習を学んでいくことになります。

足を縛り上げて足裏を鞭で叩くバスティナードは奴隷に対して頻繁に行われた

宮殿で働くようになる

トマス・ペローの主人で会ったムーレイ・スーファは、父親であるムーレイ・イスマイルの怒りを買い、殺されてしまいます。

その後は、トマス・ペローはムーレイ・イスマイルの元で、メクネスの王宮で働かされることになります。

トマス・ペローが命じられて、ハーレムの警護をされられていた時のことです。当時、ハーレムは厳重に管理されていて、スルタンであるムーレイ・イスマイルでさえも、事前の伝達がなければ、ハーレムには入ってはいけないという規則がありました。

その日、扉の中にいるトマス・ペローの元に、外からムーレイ・イスマイルが扉を開けるようにと声を掛けます。

トマス・ペローは悩みます。なぜなら、事前の通達がないのにも関わらず扉を開ければ、規則を破った廉で殺されてしまうでしょう。扉を開けなければ、スルタンの意向に背いたとして、殺されてしまうでしょう。

しかし、ここは自身の機転で何とか乗り切り、命を長らえること成功します。

どんな機転だったかは本を読んでみて下さい。

結婚させられる

トマス・ペローはムーレイ・イスマイルによって、妻をあてがわれ、奴隷身分ではありながら、結婚させられることとなります。そして、娘も生まれることとなります。

従軍する

当時、多くの白人奴隷がモロッコ軍兵士として働かされていました。トマス・ペローも例外ではありませんでした。

トマス・ペローの従軍中に妻と娘が亡くなります。

また、トマス・ペローはメネケスを離れている間、何度か脱走を企てますが、いずれも失敗し、間一髪で死刑も免れています。

脱走がばれて、捕縛された際には、処刑されるあと一歩のところまで行きますが、そこでも命を長らえています。

ムーレイ・イスマイルの死

1727年、ムーレイ・イスマイルは病に倒れます。兄弟間の争いが始まり、内戦にもトマス・ペローは参加します。

戦闘中に大けがを負っても、白人奴隷であった医師の治療によってなんとか命を繋ぐことができました。

イギリスへの帰還

当時、一部のキリスト教徒については多額の身代金と引き換えにイギリスへの帰還が叶っていましたが、ムスリムに改宗してしまったトマス・ペローは帰還することができませんでした。

したがって、トマス・ペローは自力での帰還を狙います。

隙を見て逃げ出したトマス・ペローは命からがら大西洋沿岸の港を目指すこととなります。

追剥や飢えに苦しみますが、藪医者の真似事をして、日銭を稼ぎ、何とかイギリスへ連れ帰ってくれる船を探すことになります。

そうして、アラビア語の通訳を欲しがっていたイタリア人商船に乗せてもらうことができ、23年ぶりにイギリスの地を踏むことができたのです。

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終わりに

正直、ここに書いても書ききれない内容です。

ノンフィクションとは思えないほどの内容の濃さで、当時のヨーロッパ諸国やモロッコの関係を知るいいきっかけになっただけでなく、人の命の重さについて考えるきっかけになりました。

冒険談としても、非常に面白い内容でした。

聡明さで頑固で幸運の「トマス・ペロー」でなければ、おそらくどこかしらで死んでいたのではないかという程に、死線を潜り抜けてきた話は「事実は小説よりも奇なり」と言えると思います。

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